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第6回 「アメリカに行こう」

「売れる本を作りませんか?」。私と竜人さんは、精神科病院の外の世界に出て行こうという思いを込めて、キャッチコピーを考案。投稿募集のポスターにして、デイケアの窓口や、病棟に掲示しました。

病院には、詩歌や小説を書くたくさんの患者さんがいます。その中の一人がウナムさん(仮名)でした。彼は、Bさんという、目と耳、口が不自由な患者さんをいつもさりげなく手助けしていました。Bさんは、ウナムさんの顔を手で触って確認すると、他の人のときとは違う笑みを浮かべます。それは、信頼がもたらす美しい光景でした。

ウナムさんは私と同い年で、興味や関心がある分野に共通項が多い人でした。そして、文学の話で盛り上がると、詩や小説を書いた3冊のノートを見せてくれたのです。

彼は子どものころ転校が多く、「人とのつながり方が分からない、書くことは心の支えだった」と語ります。文字は、その性格に似て几帳面(きちょうめん)です。文体は、Bさんに黙って差し出す手のように心の大切な部分に静かに温かく語りかけ、懐かしい何かを思い出させてくれました。集団行動が苦手な彼でしたが、本作りには参加を表明してくれ、私は初めて打ち解けられた気がしました。今も一緒にラグーナ出版で働いています。 挿絵

出版会議には、患者6人と医師1人、看護師3人、それに私を含めた計11人が集まりました。会議の中で、それぞれが自分の作品を紹介します。作品は人生と切り離せないため、思わぬエピソードが飛び出し、時に笑いを、時に涙を誘いました。

ウナムさんは、2回目の入院のとき、「精神的に苦しかったが入院には抵抗した」と回想しました。「どうして抵抗が解けたのですか」と尋ねると、「おじさんに『アメリカに行こう』と言われたから」。会議は爆笑に包まれました。 精神科病院に連れて行かれることはうすうす分かったけれど、アメリカの広大な大地を想像し、苦しみから救われると思ったそうです…。

会議は脱線が多かったのですが、「精神病の回復」「How to 退院」という座談会の記事にまとめ、投稿作品と合わせると128ページ。十分本にできる量です。パソコンで入力し印刷、製本。1冊の本の形になると、夢が膨らんでいきました。

最も議論が白熱したのは雑誌のタイトルを決めた時です。たくさんの候補のなかから、「無間地獄」と「シナプスの笑い」が残りました。脳内の神経伝達物質が行き来する場である「シナプス」と、回復期の印である「笑い」からつけた後者に落ち着きました。16号まで続いていることを思えば、「無間地獄」でなくて本当に良かったと思います。

こうして、2006年、初版1500部の雑誌「シナプスの笑い」が出来上がり、私たちは刷り上がった雑誌の前で夢を語りました。その夢はこれまでに幾度か、そして今日もかないました。私たちの夢の原点―。

「良いニュースで新聞に出よう」

鹿児島市、ラグーナ出版社長 川畑善博


夢とつながりのなかでは本でも読めます